映画『死刑にいたる病』とは?

2022年公開の映画『死刑にいたる病』は、観る者の精神に静かに忍び寄る“心理サスペンス”の傑作です。原作は櫛木理宇による同名小説で、監督は『孤狼の血』『凶悪』など硬派な犯罪映画で知られる白石和彌。
阿部サダヲ演じる稀代の連続殺人鬼・榛村大和と、岡田健史演じる鬱屈した大学生・筧井雅也との危うい関係性が、観客を深い“心の闇”へと引き込んでいきます。
ここではまず、作品の原作やキャスト情報、さらには公開当時の反響までを振り返っていきましょう。
原作・キャスト・基本情報
本作は、2015年に刊行された櫛木理宇のサスペンス小説『チェインドッグ』を改題した『死刑にいたる病』(ハヤカワ文庫刊)が原作。累計発行部数10万部を突破し、映画化に際しても高い注目を集めました。
監督は白石和彌、脚本は高田亮。主演の阿部サダヲは、表の顔は優しいパン屋、裏の顔は24人を殺めた凶悪な殺人鬼・榛村大和を怪演。
対する筧井雅也役には、若手俳優・岡田健史(現・水上恒司)が抜擢され、鬱屈した青年の変容をリアルに体現しています。
- 榛村大和:阿部サダヲ
- 筧井雅也:岡田健史
- 金山一輝:岩田剛典
- 加納灯里:宮﨑優
- 筧井衿子:中山美穂
- 監督:白石和彌
- 脚本:高田亮
- 音楽:大間々昂
- 配給:クロックワークス
上映時間は129分。PG12指定作品となっており、観客に精神的な重みを与えるサスペンスに仕上がっています。
公開時の反響と興行成績
『死刑にいたる病』は2022年5月6日に全国237館で公開され、初週の着席率はTOP10の中でもトップクラスを記録。その後、週末興行ランキングで6週連続トップ10入りを果たしました。
6月時点での累計興行収入は約11億円を突破。
クロックワークス配給映画の中でも歴代1位の記録を達成し、2022年の邦画実写作品で興収10億円を超えた希少なインディペンデント配給作品としても注目を集めました。
また、第46回日本アカデミー賞にて阿部サダヲが優秀主演男優賞を受賞し、その演技の凄みが改めて高く評価されました。
物語の核心──「洗脳と共犯」の心理劇とは?

『死刑にいたる病』が他のサスペンス映画と一線を画しているのは、単なる“犯人捜し”の物語ではなく、「人の心がどのようにして侵食され、共犯へと導かれていくか」という心理的な深淵に踏み込んでいる点です。
観客は、筧井雅也という一人の青年が、榛村大和というカリスマ的殺人鬼に出会うことで徐々に変化していく様を、まるで“精神感染”のように体感させられるのです。
ここでは、本作の物語構造を読み解きながら、その心理劇の妙味に迫っていきます。
筧井雅也の変化が示す“心の侵食”
物語の出発点である筧井雅也は、劣等感と孤独に苛まれた平凡な大学生。しかし、榛村からの手紙を受け取った瞬間から、彼の内面は静かに揺らぎ始めます。
拘置所での面会を重ねるうち、榛村の言葉巧みな誘導により、雅也は「自分の存在意義」を見出し始めるのです。さらに「もしかすると自分の父親なのでは?」という血縁の疑惑が生まれたことで、彼の心は完全に榛村の影響下へと飲み込まれていきます。
やがて、自ら暴力をふるったり、人格まで変貌していく雅也の姿は、観客に「自分だったら…」という問いを突きつけます。それこそが本作最大の恐怖のひとつでしょう。
榛村大和の「教育者」としての恐怖
榛村は単なる冷酷な殺人鬼ではありません。表の顔は地域に愛される優しいパン屋であり、子供たちに慕われる“教育者”でもありました。
しかし、その裏では子供を“将来の獲物”と見定め、じわじわと支配していく冷徹な計画性を持っています。その「教育」は時に善意を装い、人の心の弱さや欲望を巧みに利用します。
その恐ろしさは、単に暴力をふるう殺人者よりも遥かに根深く、観る者に“社会のどこにでも存在し得る狂気”を想起させます。
「冤罪調査」が仕組まれた心理トリック
物語の最大の仕掛けが「冤罪調査」の依頼です。榛村は「最後の一件だけは冤罪だ」と雅也に訴え、調査へと駆り立てます。
その行為自体が、「自らの意志で動いている」という錯覚を雅也に植え付け、結果的に榛村に心酔させる巧妙なトリックだったのです。
無意識のうちに「彼の役に立ちたい」「真実を暴きたい」と思わせ、次第に境界線が曖昧になっていく雅也。
本作は、観客にもその“共犯意識”を疑似体験させることで、単なるスリラー映画以上の心理的重層性を生み出しています。
なぜ観客は引き込まれるのか?映画『死刑にいたる病』の魅力

『死刑にいたる病』は、その陰鬱なストーリーラインにも関わらず、多くの観客の心を強烈に惹きつけ、話題を呼びました。
なぜこの作品は“観る者を引き込んで離さない”のでしょうか?
ここでは、そのサイコサスペンスとしての完成度、現代社会の闇に切り込むテーマ性、そして俳優陣の圧倒的な演技力という3つの視点から、その魅力を掘り下げていきます。
サイコサスペンスとしての完成度
本作の最大の魅力は、緻密に構成されたサイコサスペンスの完成度にあります。
単なる“猟奇殺人事件”の解明ではなく、主人公・筧井雅也の内面変化という“心理劇”が主軸となっている点が特筆すべきポイントです。
観客は、雅也が榛村に接触することで徐々に感情や倫理観が歪んでいく様を、まるで共犯者として追体験するような錯覚に陥ります。
物語のテンポ、映像の演出、音楽の使い方など、細部に至るまで計算された作り込みが、濃密な没入感を生み出しています。
社会の“死角”をえぐるテーマ性
『死刑にいたる病』は単なるエンタメサスペンスに留まりません。
「家庭」「教育」「善意」という日本社会で尊ばれる価値観の裏に潜む“死角”を鋭くえぐり出しています。
榛村が優しいパン屋の顔を持ちつつ、裏では少年少女を「教育」し、操っていた構造は、表面化しにくい社会的加害の恐怖を示唆。
観終えた後に「これは他人事ではない」と感じさせる、深い余韻を残す作品となっています。
阿部サダヲ×岡田健史の鬼気迫る演技
阿部サダヲの演じる榛村大和は、静かでありながら狂気が滲み出る圧巻の演技。
決して声を荒げることなく、穏やかな語り口で人の心を支配していく様は、画面越しに恐怖を感じさせます。
また岡田健史演じる筧井雅也は、序盤の鬱屈した青年像から、物語が進むにつれて少しずつ狂気の色を帯びていく変化を繊細に表現。
二人の対峙シーンはまさに“心理戦の極致”であり、観客の緊張感を極限まで引き上げます。
『死刑にいたる病』に込められたメッセージとは?

『死刑にいたる病』は、見応えのあるサイコサスペンスであると同時に、「人はなぜ他者に影響され、善悪の境界を越えてしまうのか」という普遍的なテーマを問いかけています。
本作に込められた深層的なメッセージを紐解くことで、単なるスリラーを超えた、より濃密な映画体験が見えてきます。
“共犯関係”がもたらす自己同一性の揺らぎ
主人公・筧井雅也が、榛村大和という犯罪者と心理的な共犯関係に陥っていく過程は、「自分は誰なのか」という自己同一性(アイデンティティ)の揺らぎを描いています。
自分の父親が榛村かもしれない、という疑念が芽生えることで、雅也は自分自身の価値や存在意義さえ見失い始めます。
さらに榛村の巧妙な誘導によって「自分の意志」で動いているつもりが、いつの間にか榛村の掌の上で踊らされていた──という恐るべき構造が浮かび上がるのです。
これは、現代社会における「他者との関係性」や「SNS時代の自己形成」などにも通じる、非常に普遍的なテーマとも言えるでしょう。
観る者の“倫理観”を試す構造
『死刑にいたる病』は、観客自身の倫理観を試す仕掛けが巧妙に織り込まれています。
雅也の視点を通して物語が進行することで、観客もまた榛村の魅力や“正当な理由”に引き寄せられそうになる場面が多々あります。
その結果、「自分だったらどうしただろうか?」という内省を促し、気づかぬうちに“共犯的な視線”に染まっていくことに気づく瞬間が訪れます。
こうした観客参加型の心理劇こそが、本作を忘れがたい作品に押し上げている大きな要素と言えるでしょう。
こんな人におすすめ!映画『死刑にいたる病』はここが刺さる

『死刑にいたる病』は、その重厚なサイコサスペンスの世界観と心理描写の妙によって、多くの映画ファンの心を捉えてきました。
では、どんなタイプの方に特におすすめできる作品なのでしょうか?
ここでは3つの視点から本作の“刺さるポイント”をご紹介します。
サイコスリラー好きに
本作はまさにサイコスリラー好き必見の一本。
冷徹で緻密な心理戦、ジワジワと追い詰められる精神描写、そして善悪が曖昧になる人間の心の揺らぎが、観客の興奮と緊張を誘います。
『セブン』や『羊たちの沈黙』など、心の奥底を揺さぶるスリラー映画を好む方なら、間違いなく惹き込まれることでしょう。
社会派ドラマを求める方に
『死刑にいたる病』は単なる猟奇サスペンスではなく、家庭・教育・社会の歪みといった現代日本の“見えない闇”に鋭く切り込んだ社会派ドラマとしての側面も強く持っています。
「なぜ人は犯罪者に共感してしまうのか?」「社会が生み出す加害と被害の構造とは?」といった深いテーマを考えたい方にもおすすめできる一作です。
登場人物の“心の闇”を掘り下げたい方に
本作の最大の魅力のひとつは、登場人物たちの心の闇や葛藤が非常に丁寧に描かれている点です。
主人公・筧井雅也が自分でも気づかぬうちに変化していく様子や、榛村の裏表のある人格造形など、キャラクターの内面に深く入り込みたいタイプの映画ファンにもぴったり。
表面的な派手さよりも“心理描写の巧みさ”に価値を感じる方に強くおすすめできる作品です。
まとめ──映画『死刑にいたる病』が突きつける“人間の恐ろしさ”

『死刑にいたる病』は、派手な演出や過激な描写に頼ることなく、「人間の心そのものが持つ恐ろしさ」を丁寧に描き出したサイコサスペンスの秀作です。
観る者は榛村という存在を通して、「誰かを支配したい」「認められたい」という人間の根源的な欲望と対峙させられ、また雅也の変化を通じて「自分もまた他者に影響されやすい存在ではないのか」という不安を抱くことになります。
決して遠い世界の話ではなく、日常の裏側にひそむ狂気や、ちょっとしたきっかけで善悪の境界が曖昧になる怖さ──それこそが、本作が観客に突きつける最大の問いなのです。
まだ観ていない方は、ぜひ一度この濃密な心理劇の世界に触れてみてはいかがでしょうか。
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